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司馬懿についての史料


司馬懿について書かれた史書(漢籍)を集めてみました。

晋書三国志通典


晋書

 晋(265~420)の正史で、「二十五史」の1つ。
 645年ごろ、唐の太宗の勅により、多くの史官によって編纂されました。

 正史が多数の史官によって編纂された初めで、矛盾や記載の不統一が少なくなく、
 また史官といっても文学者が多かったため、史実とは思われない伝承が採用され、
 「飾り立てていて篤実でない」と評されたそうです。
 その一方で、一人の主観に左右されず、豊富に残っていた史料を用いて
 詳しく述べているとの評価もあります。

 宣帝・武帝・陸機・王羲之の人物評は、唐の太宗がみずから撰したとして有名。

卷一帝紀第一高祖宣帝懿司馬懿
卷二帝紀第二世宗景帝師
太祖文帝昭
司馬懿の息子たち
卷三帝紀第三世祖武帝炎司馬懿の孫 晋の初代皇帝
卷四帝紀第四孝惠帝衷司馬懿のひ孫
卷五帝紀第五孝懷帝熾
孝愍帝鄴
司馬懿のひ孫
司馬懿の玄孫
卷六帝紀第六中宗元帝睿
肅宗明帝紹
司馬懿のひ孫 東晋の初代皇帝
 その長男
卷三十一列傳第一 后妃上 宣穆張皇后
景懷夏侯皇后
景獻羊皇后
文明王皇后
武元楊皇后
武悼楊皇后
惠賈皇后
惠羊皇后
懷王皇太后
元夏侯太妃
司馬懿の正妻、張春華
 息子の嫁たち


 孫の嫁たち

 ひ孫の嫁たち
卷三十七列傳第七 宗室 安平獻王孚
彭城穆王權
高密文獻王泰
范陽康王綏
濟南惠王遂
譙剛王遜
高陽王睦
任城景王陵
司馬懿の弟
司馬懿の甥たち
卷三十八列傳第八 宣五王 平原王榦
琅邪王伷
清惠亭侯京
扶風王駿
梁王肜
司馬懿の息子たち
 文六王 齊王攸
城陽王兆
遼東王定國
廣漢王廣德
樂安王鑒
樂平王延祚
司馬懿の孫たち

 青青生コメント
 という具合で、司馬懿キーワードで晋書を検索すると、きりがありません。
 ちなみに電子データの晋書を検索したら「宣帝」で100記事、「宣王」24、「司馬懿」6、「仲達」4記事ヒットしました。

 晋書は、全和訳はないようです。
 宣帝本紀は『正史三国志英傑伝Ⅱ 成る』徳間書店で読めます。
 電子テキストは、世宗景帝師は「解体晋書」さん、宣穆張皇后伝は「正史三國志研究會」に和訳があります。すごい!
 参考文献、サイトはそれぞれ「参考文献」「司馬懿リンク」ページ参照。

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三国志

 三国時代の正史で、「二十五史」の1つ。
 晋の陳寿撰。そもそもは陳寿の私撰だったそうです。

 陳寿は一時蜀に仕えていたので蜀に好意的に書かれているとか、いろいろ言われてますね。
 全体の記述が簡略すぎるのも、蜀の史料があまり残っていなくて、
 魏呉の史料を厳選して蜀とバランスを取ったのだ、とも聞きます。

 陳寿の死後100年以上たって、あまりに「三国志」が簡略すぎるので、
 裴松之が注をつけ、内容が詳しくなりました。

 ここらへんにわりと登場します。
魏書  卷二 文帝丕
卷三 明帝叡
卷四 三少帝
卷九 夏侯惇・夏侯淵・曹仁・曹洪・曹休・曹真・夏侯尚
卷十四 程昱・郭嘉・董昭・劉曄・蔣済・劉放
卷十五 劉馥・司馬朗・梁習・張既・温恢・賈逵
卷二十四 韓曁・崔林・高柔・孫礼・王観
卷二十 王淩・毌丘倹・諸葛誕・鄧艾・鍾会
蜀書 卷三十五 蜀書五 諸葛亮
呉書 卷四十七 呉書二 呉主權

参考 ちくま学芸文庫『正史三国志』の登場ページ
1巻 107、156、203~204、222~223、226~227、235~236、248~251、268~272、274~276、284、287、289、291~294、298、300、353~354、359   
2巻 96、119、149、164、167~168、170~175、177~179、181~184、188、190、192~195、197~198、200、203、210、214、218~219、221、259、263、357、367、394、431   
3巻 67、76、80、87~89、92、103、128、133、141、185~187、193、207、230、232、401、414、447、449、451、458、471、490、506   
4巻 19~20、28、30、37、90、93~95、97、110~112、170、181、185、193、206~207、210、214、226~228、230~234、236、238~240、242、246~247、255、268~269、285、289、291~292、302~303、454   
5巻 79~80、104、125~127、135~140、157~159、170、278、289、323、386、396、419~420   
6巻 139、149、152、226   
8巻 97、108   

 青青生コメント
 メインは明帝紀と三少帝紀ですか。
 魏書十五は実兄の司馬朗の本伝です。司馬懿自身はあまり登場しませんが、司馬懿の幼少時代を推測する手がかりになります。
 電子データの三国志を検索したら「司馬宣王」82記事、「司馬懿」15、「仲達」3、「宣帝」2記事ヒットしました。

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通典/兵典凡十五卷/卷一百五十三 兵六/示強

- 3925 - 蜀將諸葛亮屯於陽平,遣魏延諸軍并兵東下 ,[六六]亮唯留萬人守城.魏將司馬宣王率二十萬拒亮,而與魏延軍錯道,逕前,當六十里.偵昌鄭反候白宣王說亮在城中兵力弱.將士失色,亮是時意氣自若,勒軍中皆臥旗偃息,不得輒出菴幔,[六七]開西門,掃地卻洒.[六八]宣王疑其有伏,於是引軍北趣山.亮謂參佐曰:「司馬懿謂吾有強伏,循山走矣.」候邏還白,如亮所言.[六九]宣王後知,深以為恨矣.

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