LITERATURE

文学に見る司馬懿


司馬懿が登場する文学作品・・・フィクションです
同時代から明清代あたりまで
 漢文テキストの中に、表示できない漢字が散見されます。漢籍サイトへどうぞ。
 現代小説は参考文献コーナーです。

曹植の書捜神記世説新語三国志演義京劇


曹植「與司馬仲達書」

今賊徒欲保江表之城.守區區之吳爾.無有爭雄於宇內.角勝於平原之志也.故其俗蓋以洲渚為營壁.江淮為城而已.若可得挑致.則吾一旅之卒.足以敵之矣.蓋弋鳥者矯其矢.釣魚者理其綸.此皆度彼為膚.因象設宜者也.今足下曾無矯矢理綸之謀.徒欲候其離舟.伺其登陸.乃圖并吳會之地.收陳野之民.恐非主上授節將之心也.


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捜神記

 晋の干宝の著作。
 4世紀の半ば頃の成立。
 不思議・怪奇なお話を集めたもので、六朝時代の説話の宝庫。
 怪を志(しる)す「志怪小説」の源流であり、中国小説の祖と言われます。

 于吉の呪いで死ぬ孫策など、「演義」のネタの源流も見られます。

卷六56  魏景初元年,有燕生巨鷇于衛國李蓋家,形若鷹,吻似燕.高堂隆曰:「此魏室之大異,宜防鷹揚之臣,於蕭墻之内.」其後宣帝起,誅曹爽,遂有魏室.

 意訳 魏の景初元年(237年)、衛国(河南省)の李蓋の家で、燕の大きな雛が生まれた。形は鷹のようで、くちばしは燕に似ていた。高堂隆は言った。「これは魏の帝室にとっての大異変です。朝廷の中にいる鷹揚之臣(鷹のように意気揚々としている家臣)に気をつけねばいけません」 その後、宣帝が台頭し、曹爽を誅し、ついに魏の覇権を握ってしまった。


卷九72  司馬太傅懿平公孫淵,斬淵父子.先時,淵家數有怪:一犬著冠幘,絳衣,上屋.有一兒,蒸死甑中.襄平北市,生肉,長圍各數尺,有頭、目、口、喙,無手、足,而動搖.占者曰:「有形不成,有體無聲,其國滅亡.」

 意訳 魏の太傅司馬懿は、公孫淵を平定し、淵父子を斬った。それに先立って、淵の家にはたびたび異変が起きた。・・・冠をかぶり、赤い服を着た犬が屋根の上にいた。 炊飯の鍋の中で子どもが蒸死していた。襄平の北の市街に、生きている肉が現れた。それは長さも周囲も数尺、頭、目、口、唇がついていて、手足は無いのに揺れ動いていた。易者は言った。「形はあるのに完成していない、体はあるのに声はない、これは国家滅亡の前兆だ」

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世説新語

 南朝宋の劉義慶(403~44)の著作。
 後漢末から東晋までの貴族や文人たちのエピソードを集めたもの。
 戦争・政争に明け暮れる時代に生きた人々の、横顔がのぞけます。
 短文形式で、ウィットに富んだ会話の応酬が魅力…と井波律子さんの本で読みました。

 史実っぽく読めるネタが多いのですが、「読み物」であり、
 ノンフィクションではないそうです。
 曹丕・曹植の「七歩の才」エピソードなど、「演義」的なキャライメージがすでに確定しているのは、興味深いです。

 司馬懿は 言語篇16、方正篇4、5、容姿篇27、排調篇2、3、尤悔篇7 に登場します。


言語篇16  司馬景王東征,取上黨李喜,以為從事中郎.因問喜曰:「昔先公辟君不就,今孤召君,何以來?」喜對曰:「先公以禮見待,故得以禮進退;明公以法見繩,喜畏法而至耳!」

 意訳 司馬師(司馬懿の子)が東征したとき、上党の李喜を登用して軍の属官とした。そのとき、司馬師「かつて私の亡き父が君を招いた時は応じなかったのに、今、私が招いたら応じたのは、なぜだね?」李喜「お父上は礼に従って私を招いたので、私は礼をもって進退を選べました。しかし殿は法に従って正そうとされますから、私は法を恐れて参上したのです!」

 

方正篇4  郭淮作關中都督,甚得民情,亦屢有戰庸.淮妻,太尉王凌之妹,坐凌事當并誅.使者徵攝甚急,淮使戒裝,克日當發.州府文武及百姓勸淮舉兵,淮不許.至期,遣妻,百姓號泣追呼者數萬人.行數十里,淮乃命左右追夫人還,於文武奔馳,如徇身首之急.既至,淮與宣帝書曰:「五子哀戀,思念其母,其母既亡,則無五子.五子若殞,亦復無淮.」宣帝乃表,特原淮妻.

 意訳 郭淮は民政や軍事に功があり、民心を得ていた。ところが、妻の兄が帝を交代させる計画を立て、司馬懿にバレて殺されるという事件が起こった。郭淮の妻はそれに連座して、死刑に決まった。郭淮は妻に旅支度をさせた。州の文武官や民たちは、郭淮に挙兵をすすめたが、郭淮は許さなかった。妻が出発すると、数万の人々が泣き叫んで追いかけた。数十里ほど進み、郭淮が妻を連れ戻したら、文武官はどっと夫人のもとに集まり、まるで自分の命にかかわることのようだった。そこで郭淮は司馬懿に手紙を送った「五人の子どもが悲しみ、母を思い念じています。母が亡くなれば、五人の子どももこの世にいないでしょう。五人の子が死ねば、私もまた無いでしょう」そこで司馬懿は上奏して、郭淮の妻を特赦にした。

 

方正篇5  諸葛亮之次渭濱,關中震動.魏明帝深懼晉宣王戰,乃遣辛毗為軍司馬.宣王既與亮對渭而陳,亮設誘譎萬方.宣王果大忿,將欲應之以重兵.亮遣間諜覘之,還曰:「有一老夫,毅然仗黃鉞,當軍門立,軍不得出.」亮曰:「此必辛佐治也.」

 意訳 諸葛亮が渭水に攻めてきて、関中は騒然となった。魏の明帝(曹叡。曹丕の子)は司馬懿が開戦することを恐れ、そこで辛毗をつかわして参謀とした。司馬懿が諸葛亮と渭水をへだてて対陣すると、諸葛亮はあの手この手で挑発する。司馬懿は怒り、大軍で応じようとした。諸葛亮のスパイは帰ってきて報告した「一人の老人が、毅然として軍門に立ちふさがっていて、軍は出陣することができません」諸葛亮「それはきっと辛毗だ」

 

容姿篇27 劉尹道桓公:鬢如反□皮,眉如紫石稜,自是孫仲謀、司馬宣王一流人.

 意訳 劉尹は桓公を評して言った「鬢(びん。耳の上の毛。もみあげあたり)はハリネズミの毛のように逆立ち、眉は紫水晶のするどさ、まさしく孫権や司馬懿のような大人物だ」

 

排調篇2 晉文帝與二陳共車,過喚鍾會同載,即駛車委去.比出,已遠.既至,因嘲之曰:「與人期行,何以遲遲?望卿遙遙不至.」會答曰:「矯然實,何必同羣?」帝復問會:「皋繇何如人?」答曰:「上不及堯、舜,下不逮周、孔,亦一時之士.」

 意訳 司馬昭は陳騫、陳泰と車に同乗し、鍾会のところを通りかかり、乗れと声をかけておきながら、鍾会が家から出てきた時には、先に行ってしまっていた。鍾会がやっと追いつくと、嘲笑して言った「同行を約束しておいたのに、なんでそんなにグズグズしてるんだ?はるばると遠くにいて、追いついてこないかと思った」鍾会「すぐれてうるわしく実あるものは、なにも群れる必要はありません」司馬昭「皋繇はどんな人物だったと思う?」鍾会「古代の聖天子や聖人には及ばす、孔子にもかないませんが、やはり当代きってのうるわしい人物だったでしょう」

 解説 司馬昭ら3人が鍾会を侮辱しようと、「はるばると=遙遙」と鍾会の父・鍾繇の諱(遙=繇)を使ったところ、「矯(陳騫の父、陳矯)然として(司馬昭の父・司馬懿)わしく實なるもの,何ぞ必ずしも同羣(陳泰の父・陳羣)せんや?」とやり返されたというお話。ついで司馬昭が「皋繇」(神話上の人物)と、はっきり鍾会の父の諱を犯すと、「また一時の士なり」と、逆襲されてます。亡父の諱を口にしたり、耳にしたりすることは禁忌であり、子として最も耐え難い屈辱だったのです。

 

排調篇3 鍾毓為黄門郎,有機警,在景王坐燕飲.時陳羣子玄伯、武周子元夏同在坐,共嘲毓.景王曰:「皋繇何如人?」對曰:「古之士.」顧謂玄伯、元夏曰:「君子周而不比,羣而不黨.」

 意訳 鍾毓(鍾会の兄)は天子の近侍で、機知に富んでいた。司馬師の宴席で、陳羣の子の陳泰や、武周の子の武元夏も同席して、皆で鍾毓をからかった。司馬師「皋繇はどんな人物だったと思う?」鍾毓「古えのうるわしい人物です」ついで陳泰、武元夏のほうを向いて、鍾毓「”君子はひろく親しんで一部の人におもねることはしない””大勢といても一派に偏らない”」

 解説 上の話と同じ。司馬師が「皋繇」と鍾毓の父の諱を犯して侮辱しようとしたら、鍾毓は「古えの士なり」と応酬し、腰ぎんちゃくの陳泰、武元夏に対しても「君子は周(武元夏の父・武周)して比せず、羣して党せず」と論語の言葉を引用して皮肉っています。

 

尤悔篇7  王導、溫嶠俱見明帝,帝問溫前世所以得天下之由.溫未荅.頃,王曰:「溫嶠年少未諳,臣為陛下陳之.」王迺具□宣王創業之始,誅夷名族,寵樹同己.及文王之末,高貴鄉公事.明帝聞之,覆面箸□曰:「若如公言,祚安得長!」

 意訳 王導と温嶠が東晋の明帝に拝謁した。帝は温嶠に、晋の祖先が天下を取ったゆえんを尋ねたが、温嶠は答えなかった。しばらくして、王導が言った「温嶠は年若く、よく知らないので、私がお答えします」そこで王導は、司馬懿が創業のはじめに名族を滅ぼし、自分に同調するものだけ取り立てたことや、司馬昭が魏の四代目皇帝を殺した事件などを述べた。帝はそれを聞くと、顔を覆ってうつ伏せて言った「公の言う通りだとすると、どうして晋王朝が安泰に永らえることができようか!」


 青青生コメント
 司馬懿のキャラを髣髴とさせるようなエピソードじゃありませんね。
 司馬懿が主人公のネタもないし。
 息子の師・昭兄弟の性格の悪さは、司馬懿を知る上での参考にはなるかな・・・
 ラストの東晋の明帝の話は、司馬懿の家も子孫になると、いいヤツいたんだな、という気がします。

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三国志平話

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三国志演義

電子テキストで検索をかけてみたところ
三国演義(全120話)には「司馬懿」160回、「仲達」27回、「司馬仲達」3回、「宣王」2回、「宣帝」1回の登場です。 (ちなみに同条件で「曹操」は522回。)

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京劇