HISTORIC RELICS
司馬懿の史跡
青青生は三国史跡めぐりをしたことがないので
司馬懿の史跡の情報をお持ちの方、ご一報ください。
河南省
- 西晋皇陵
- 河南省偃師市首陽山周辺。
- 司馬懿は生前に死後のことを遺言し「首陽山に埋葬し、土盛りせず、樹木を植えるな」と命じ、
子孫もこれを守ったため、目立った陵墓はないそうです。
- というのも、戦乱の時代、軍資金の調達のために
陵墓の盗掘が多く、暴かれぬ陵墓はないというありさまでした。そこから、三国時代は皇帝陵も薄葬なのです。
陵墓の名は史書に残っていても、位置が分からなくなっていました。
- 近年になって、司馬昭・司馬炎の陵の位置が分かり、司馬懿の「高原陵」など歴代西晋皇帝の陵墓の位置が確定したとのこと。
- 司馬懿祖塋
- 河南省温県番田郷三陵村。
- 司馬氏の祖塋(先祖の墓)。
- 三陵村という地名になっているくらいで、「品」の字の形に3つあるそうです。
- 虢公台
- 河南省温県上苑村。
- 238年、司馬懿が公孫淵討伐に向かう途中、故郷の温県で宴を開いたというエピソード(著作ページ参照)の、
その場所。
- 司馬懿のその由来で「賀酒台」ともいう。
- そもそもは、紀元前704年、周の大臣・虢公が、出陣式をするために設けた台。
- 晋城
- 河南省温県招賢村一帯。
- 263年、晋王になった司馬昭は、司馬氏の出生地に大きな城を造営しました。
- 司馬炎が晋を建国して洛陽を都とした後は、県治(県の役所のある都市)となり、晋末まで維持されました。
- 現在は、一部を除いて農地だそうです。東北隅が「司馬懿故里」と呼ばれるとのこと。
- 沁河古桟道
- 河南省済源市。沁河の右岸。
- 241年、鄧艾の献策を司馬懿が認めて造らせた、北征のための軍用桟道。
- 鄴城遺址
- 河南省安陽県鄴鎮。
- 三国時代当時からは流れが変わった漳河が、鄴都の西から東へ貫流して遺跡を南北に分け、
北は河北省になるそうです。
- 「金鳳台」「銅雀台」「冰井台」の跡は、現在も残っています。
- 漢魏洛陽故城
- 河南省洛陽市。現代の洛陽市区からは東へ20km。
- 周代に造営された城をもとに、後漢・三国魏・西晋・北魏の王都となった都です。
- 190年の董卓の焼き討ちで壊滅しますが、皇帝になった曹丕は長安、譙、許昌、鄴、洛陽を五都として、
洛陽を復興しました。
- 邪馬台国の使者が訪れた魏の都も、ここです。
- 隋唐以降の洛陽は西に移り、いまは見渡す限りの畑だそうです。
- 1961年に全国重要文物保護単位に指定。
①鄴城遺址 ②沁河古桟道 ③虢公台 晋城 ④司馬懿祖塋
⑤西晋皇陵 ⑥漢魏洛陽故城 ⑦許昌故城